とある書物の備忘録

読書家ほどではない青年が本の感想を書くブログ

「読書する時間がない」という言い回しについて。

A「最近読書にはまっててさ。なにか面白い本おしえてよ」
B「最近本読んでないからなぁ……」
A「まじで? おもしろいのに、時間ないの? 簡単に読める本とかあるけど……」
B「ごめん、本読む時間なくて」
と、こんな話を本読む側の人間はしばしば遭遇したことがあると思います。僕も気がつけば「こいつも本読む時間ないのか……」と思うほどにはこの会話を繰り返してきました。
今回はこの「読書するする時間がない」についてです。



読書する時間がない
読書する時間がないと言っていますが、正直これは言い回しとしては無理があると思います。読書というものは、30分もあればできることであり、テレビを見ている時間、パソコンをする時間、スマホをいじる時間をほんの少し活字に与えれば読書したことになるので、意外といつでも本は読めるものなんですよね。僕はそう思っています。
それでも「読書する時間がない」と言う人が居ます。その人は「意味分かんない」と個人的に思っていました。
「思ってました」と過去形です。とはいうもの、僕はA側の人間だったのですがここ数日ほどいろいろ大変で、本当に「読書する時間がない」というBのような言い回しを心のなかでよくつぶやいていました。(「ブロク書くために本読まなきゃ」→「本を読む時間がない」みたいな)
そんなこと思っておきながら、実際は読む時間はあったんです。けど、読もうにも、数日かけてかいぞくポケットを読むのがやっとでした。
落ち着いた今になって理由を考えたんですけど、あれは「読書する時間がない」ではなく「読書する余裕がない」ってことだったんですよ。
読書する時間はあるけど余裕がない。あの前に書いた「朝に本を読もうとしたら、やること頭をめぐって読書に集中できない」あれが常時あるような感じです。(伝わるだろうか)

ところで、日本人は活字離れと言われるぐらいには読んでないと聞きます。中には「本は読んだほうがいい」ということを理解しているのに、読んでいない人が居ます。
もしそれが「読書する時間がない」でなく、実は「読書する余裕がない」というのが活字離れの要因ならば、僕としては悲しいものが胸に痛みます。
忙しいのはいいですけど、心まで亡びるのはだめですよ。亡びたらたぶん「本を読む余裕がない」状態になるんだと個人的に思います。とはいえ、難しいご時世なのでしょうか。
忙しい時にこそ読書する余裕がほしいものです。そんな余裕、僕もほしいです。