とある書物の備忘録

読書家ほどではない青年が本の感想を書くブログ

風立ちぬ

48冊目
映画の方はロードショーをちょこっと見た程度です。

風立ちぬ

風立ちぬ

主人公の私と節子という女性は、相思相愛でなんら滞り無く婚約をします。
ただ幸せというわけではなく、節子は結核を患っていました。当時は難病とされていた病気であり、節子の父親からの促しもあって、節子はサナトリウムに入院することを決めます。
だいたい結核もった患者はサナトリウムに1人で行くものですが、私は節子のことを強く想っていました。私は節子とともにサナトリウムに向かうことにしたのです。

---(ネタバレあり)-----




主人公です。節子のことを愛しており、自分を犠牲にしてまでも節子の回復を祈っている人でした。
彼についてはとくに言えることはないです。彼は、彼の思うがままに生きていたのだと思います。愛する節子と共に(世間一般からすれば絶望的ながらも)幸せな時間を過ごしている様子がいい感じにひしひしと伝わってきました。
言えるのは、私に大波小波の感情変化があったということですかね。節子に一喜一憂している彼なのだから、失った時なんか精神疾患患うなんてことも想像できたわけですが、彼はなかなか強く、現実を受け止めることができたようです。
節子が結核を患ってしまったことは不幸でも、満ち足りすぎた幸せが彼にあったと思います。

節子
難病と戦っていた人であり、ヒロインになりますね。
健気というか、献身的というか、(健気で献身的なのは私の方だったりしますが)それら態度に現れてました。節子は無自覚でしてますけど、この「すべてを許す」という、私がなにを言おうが受け止めて微笑み、成功をただただ祈る姿はもう究極の愛の形なんじゃないかとこの本を読んでて思いました。どうでしょうかね。
彼女に思うことは、「なんだか急に生きたくなっちゃった……あなたのおかげで」というフレーズを声に出して言えたことが何より良かったですよね。思ってもいえないことだってあるはずですし、ましてや節子ですからね。無言で愛情は伝わるとはいえ、こうした言葉で私に言えたことが良かった。あそこベストシーンです。

サナトリウム
結核を隔離する病院のようです。思い浮かべた光景については、たまたま見た映画版『風立ちぬ』の病院のシーンそのままでした。
隔離という言葉通りに、ひと里から離れてぽつんとある様子は「死ぬ場所」とはっきり言える程なんじゃないかと思います。ただそんな世間から見れば絶望的な場所でも、わりと病院内は自由で明るいようでした。患者は死を前にして一種の諦めみたいなものがあるのかもしれません。聞いた話によると、死ぬ直前は視界の風景がキラキラとなにもかも綺麗に見えるらしいですよ。ならばあの自然が多い風景は本当に美しいものに見えているかもしれませんね。
ところで、このサナトリウムという単語を初めて見たとき、アクアリウム的なものだと思って調べたことは秘密です。

サナトリウムでの同棲生活
愛する二人が同棲生活を始めるという状況としては、なかなかないほどの絶望的なスタートを二人はしていました。
今で言えばなんでも設備が揃っているといえますけど、描写の様子から部屋は簡素な一つのみであり、娯楽もなく、移動もろくにできなく、喋れなくなることもあるなんて……酷な状況とも言えます。悲しいことに、未来を想像するほど先は明るくないんですよね。
逆を言えば一瞬を噛みしめるほど満ちた同棲生活していたようで、それはそれは二人に甘美なものを与えていたともいえます。なんというか、愛の理想的な、究極的なものを感じさせますよね。僕はこの同棲生活に、現代に忘れ去られてしまった大切なものがあるような気がしてなりません。
一方で、そんなイチャコラしている光景を知ってるであろう、サナトリウムの患者や看護婦はどう思ってたんでしょう。私と節子は周りに言いふらすタイプではなさそうですが、多少は今で言う「リア充爆発しろ」と思っていそうですよね。書かれてませんけど。

節子パパ
ちょくちょく出てくるお金持ちのパパです。節子はパパのこと大好きみたいで、パパの前では無邪気な少女のような反応を見せていました。亡くなる直前も「パパが居る」みたいなことを言っているように、思い入れ強い人の1人だと伺わせます。
節子パパについては、このサナトリウムに来たとき疑問を持ちながらも、確信に気が付かないように節子のこと「顔色がいい」など言っているようでした。加えて不安もあって私に答えを問うシーンもありますし、あそこらへんはなかなか痛々しい気持ちになりました。
節子は回復をままならず亡くなったとうことに、ひどく悲しんだんだろうなとも察してとれます。亡くなったというのは事実であり、それ以外はなにもない現実的なところがまた切ないところです。

エピローグ
節子が亡くなって三年半でしたっけ? 月日が流れた後が書かれています。展開としては「落ち込んでいた私が立ち直る」というものでした。
無口な娘や陽気な牧師などいわゆる新キャラも登場しながらも、「終わりちゃんとできるのかな」と思っていた僕にとっては、ちゃんと私が立ち直って良かったなと思いましたね。物語最後、私は節子の影を追い滑落して終わり。なんてことなくて良かったです。
私のその後が気になるところですけど、まぁ文学の終わり方というのはこんな感じ多いですからね。(某作品、長いトンネルを抜けると……を思い出しながら)

【まとめ】
僕が映画に対してある知識というのは、主人公がゼロ戦を作った男(設計者)ということぐらいだったりします。以前していたロードショー多少みたんですけど、ほんとうにあやふやでここに書くのもおこがましいほどに断片的なものでした。
そんな僕が言える原作と映画の違いといえば、私は設計者ではなく小説家だということ、原作は戦争という文字がなかったことです。その(原作と映画の)違いが良いも悪いも比べることなく、よくわからない僕が原作を読んで思うのは、「これは切ない話だな」ということです。そしてその切ない感じは、映画の切ない感じとは違うとも思ったんですよね。(見てない僕の個人的な感想です)
原作に話を戻します。この切ない感じとは、生と死を控えたラブストーリーであり、究極の愛というものを描写されてからの、死別という「別れ」に行きつくのでしょう。書いてみればありきたりな展開かもしれませんけど、なんというか、こう、久しく混ざりっけない純愛ものを見たような気がしたんですよね。

風立ちぬ

風立ちぬ

風立ちぬ・美しい村 (新潮文庫)

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