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とある書物の備忘録

読書家ほどではない青年が本の感想を書くブログ

数に強くなる

畑村洋太郎 新書

57冊目
数(かず)じゃなくて、数(すう)らしいです。

数に強くなる (岩波新書)

数に強くなる (岩波新書)

畑村洋太郎さんが書いた数の苦手意識をなくす本ですね。
読破後の感想としては数に対しての苦手意識がなくなるというより、数(すう)に対してのおもしろい話を眺める本と言えると思います。
加えるなら畑村洋太郎さんの頭のなかを眺めているようで、「これが数学大好きマンの頭のなかぁ」など思いを馳せることができます。
内容は数式ついての話題のみ、数学詳しくない僕でもわかるぐらいは難しくありません。だれでも読むことができると思いますね。

今回の感想もネタバレありとありますが、個人的に思うことや忘れないようにしたいことを書いていこうと思います。


----(ネタバレあり)----


数の才能がある人について
作中、数の才がある人は二種類いると記されてあった。
○一つ

まずは、物事を数量的によく考えることができて、しかも覚えておくことができる人である。こういう人は、物事の全体像がキチンと頭の中に入っていて、その全体像との絡みで数を考え、覚えられる。

作者は「全体像を見よ」としばしば文章にしていた。この全体像とは「一つの数字から全体を見渡せる広い視点」を指すと、私は理解している。作中で例えられていた「カレーライスの具材を買ってこい」の件、あれがわかりやすいだろうか。
(概要:作者は妻から「豚肉を400グラム」買ってきてくれと頼まれた。そのとき「400グラム」と妻が強調するのだが、いざスーパーにつけば作者は「はて、なにが400グラムだっけ」と忘れをしてしまうもの)
私としては一言「買い物に行くならメモをしたほうがいいよ」と言いたいところだが、ここで注目すべきは妻が「400グラム」と強調したにも関わらず、作者が「なんの400グラム」かわからなくなった点である。たしかに仮に「豚肉400グラム買ってきて、400グラムね!」と「400グラム」を強調して言われても「豚肉400グラムもなにに使うのだ?」と思ってしまう。作中少し前の話題に戻るのだが、

蛇足 ところが、部下がそれと同じだけのことをやらないと、怒り心頭なのである。(中略)「どいつもこいつも、バカバカしいことしか見ていない」と言って、みんな怒っている。社長が孤独なのは、こういうところから来ているのである。

と、社長は「全体像を見ることに長けている」という前提で書かれてある。これはつまり私の解釈だが、社長だけ「全体像」(カレーライスで使うから豚肉400グラム買ってきてくれと言う妻のように)が見ている状態で指示をしているものだから、部下たちは(あるいは作者のように)「あれはなにに使うんだ?」という風に全体像が見えないまま、わけがわからない状態で指示を受けることになる。しかたがって部下たちは(作者の「はて、なにが400グラムでしたっけ?」みたいに)見当はずれの結果を残すのだ。そしてその見当はずれの未来を見ている社長側は「どいつもこいつもバカバカしいことしか見ていない」となるわけなのだろう、と私は考える。
いらぬお世話かも知れないが、個人的に思う対策としては「社長の見ている全体像を部下と共有できるようにすればいい」と考える。ただまぁ、本書の問題はそこではない。全体像を見ることができること(行動する理由の意味を探ることができること)が大切なのだということだ。
まぁ、言われてできたら苦労しないが。

○二つ

次に、物事から数を引き出して、自分の実現したいことの道筋にその数を乗せ、加工し、発展させることができる人である。ひと言で言えば「数を作れる人」である。(後略)

「数を作れる人」を説明するにしても作者はこちらの傾向の数に強いタイプなので、読んでいるうちに読者はだいたい理解できているだろう。ただ(私が将来見直すかもしれないので)念のため概要を書いておく。というか、引用だけで「数を作れる人」はどんな人かわかるだろう。(ここでは「鉄の熱膨張率」を導き出すために、電車のレーンを例に出して考えを進めている)

たとえば、筆者が大学の授業でよくする話に、「鉄の熱膨張率の導出法」がある。「熱膨張率」などと専門用語を持ち出されたら、大抵の人は面食らってしまうだろう。安心して欲しい。(中略)要するに、なんだかシッタコッチャイ「熱膨張率」なるものを、身近な数からひねくり出してやれという話である。

ところで、レールは1本で何メートルぐらいか。運ぶ途中で曲がってはダメだから、そんなに長くないはずである。ならば、50メートルかというと、それはチト長すぎる気がする。そこで、ここはエイヤッで、半分の25メートルとしておく。

一方、ここで温度という別の要素を考えてみる。東京周辺で(中略)真夏の暑い日には、自動車のボンネットで目玉焼きができるという話である。それなら、レールの上でも焼けるだろう。

なんとなく思うのは、「いくらなんでも100℃じゃないだろう」ということである。ならば100℃以下だとすると、何℃ぐらいか。ここが知恵の見せ所である。「風呂の温度よりは高いカナ」と考えてみるのである。風呂の温度なら、毎日の経験で42℃か43℃とわかっている。(中略)とりあえず43℃にしておこう。ということは、真夏のレールの温度は43℃以上100℃未満ということである。そして、ここもエイヤッて、そのド真ん中の70℃と仮定してしまうのである。

こうして数字を揃えて計算すると、熱膨張率は仮に「6*10^-6」となるらしい(すみません熱膨張率の計算方法なんて知りません)。正しい熱膨張率は「12*10^-6」なのだが作者はこれを誤差としていた。(ちなみに作者が考える誤差の範囲は「倍・半分は許される。ケタ違いは許されない」だった)
とどつまりこれらで大切なのは正解不正解ではなく、お遊びでもこうして日々計算をしてみる行為ということだ。全く数がわからない状況から、風呂の温度を踏まえて数「70」を作ってしまう、そして計算してしまう、それが当たるか外れるかは別として「数を作れる人」だということである。

賛同できるところ
賛同できる点とそうでない点はそれぞれいくつか見つかった。まず賛同できる点、「ソロバン教育」である。

たとえば、ソロバンという道具があるだろう。ソロバンは「補数の抽出し」をフルに活用する道具である。毎日の徹底的な反復訓練の中で、補数の概念が自然に定着し、使えるようになる仕掛けになっている。

補数の概念とは、例えば「18」という数字を見て「彼は2欲しがっているんだろうな……あげたら20になるな……」という考え方だ。それができれば計算がぐっと楽になるとして、作者はソロバン脳(3だったら7が欲しい、繰り上がりなんてメンドクサイ、など数字を見て瞬時に思える脳)を小学生から育んで欲しいとある。
私としても数字を見て計算するのは大変であって、こうした概念的な思考方法で足し算引き算が計算できるならありがたいと思う。電卓ではなくそろばんを使ってみるのもいいなと思った。

一方賛同できない点
なんといってもカーナビに頼る云々の部分だ。「なんでも機械に任せてはならない(意訳)」と作者は言っているが、やはりこのご時世、機械に頼るべき場面がたくさん出てくる。個人的には「任せっきりではなく、補助の関係になればいいのでは?」と思う次第、別にカーナビを使って地図を読んでもいいと思うのだ。
まぁ批判めいた事を思ったとしても、カーナビを使うかどうかは人それぞれだとは思う。

【まとめ】
「数大好き人間はこんなことを考えてるのか。はぇー」と感心する思いでした。日常的に建物の高さと一歩の高さを計算して、階段の数を導き出すなんてこと、僕ここ20年ちょっと生きてますけどやったことないですよ。たまに電車の中でトンネルの長さ求めたりしますけど、上には上があるものですね。
この本読んで思うことはいろいろありますが、電車の中でトンネルの長さを求めようとする行為を達人レベルまで上達させると、別の世界が見えるんだなということがわかりました。かと言って「その世界、見たいか?」と言われると「いや、いいです」と断ってしまいそうです。ただ、ニッハチの法則(作中に登場する「最初の2割の努力で、結果の8割は達成される法則」)のように2割ぐらいはがんばってもいいかもしれません。ま、なににしてもソロバン始めるところからですかね?

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