とある書物の備忘録

読書家ほどではない青年が本の感想を書くブログ

文章に感情が混入する条件とは。

今回はとある記事を見て思ったことを書いていきます。
yamayoshi.hatenablog.com
この記事に行き着いた経緯というのは、僕自身「感情的な文章ってなに?」とか思ってググったのが始まりなんですよね。
だからなんというか、「感情的な文章ってなんなんだよ!(感情をあらわにしながら)」と思っていたころであり、自ら自分なりの考え(感情的な文章とは)を進めていたころでもあったんですよ。
そんなもやもやとした頭の中でこの記事を読んで、彼(けいろーさん)が考えてらっしゃることがうなずけたんです。それであーだこーだ考えてたりしたんですよ。
だいたいこういうの一人で楽しむんですけど、どうせ話題の中心は文章だしこのブログにもカテゴリーに含まれるだろう、そんなことを思ったのでひとつここでまとめてみようかと思います。

無感情な文章について
まず「無感情な文章」について考えてゆきます。この無感情な文章については向こうの記事に書かれていますね。

何となく最初に書いた“感情的な文章”という言葉も、考えてみればなんだかよくわからない表現だ。その逆、“無感情な文章”を挙げるなら、形式の定められた学術論文や、事実のみを記したメディアの報道などが考えられるかしら*3。

「感情的な文章」ってなんぞ?/すべての文章には感情が宿る - ぐるりみち。

とあります。これは僕も同じような意見です。ひとつ考えが違うところを探すなら、学術論文には感情的な部分があるのではないか(後半そんな考え触れられてます)とは思いますけど。
この無感情な文章について考えてみたんですが、やはり記事であったように事実を「正しく伝える」ための文章がこの傾向にあると思います。
例を挙げるならニュースや人に伝えるときの文面(ビジネスのメール)はその傾向が強く出ると思いますし、この「正しく伝える」の考えを進めると最終的に到達する「無感情な文章」とは、利用規定や法律文ではないでしょうか。
まぁなににしても、「無感情な文章とは人に正しく伝えるための文章」なのは変わりないようです。

感情的な文章ってなに
もし「感情的な文章とは?」と問われてたら、僕が真っ先に思い浮かのはヒトデさん(記事一覧 - 今日はヒトデ祭りだぞ!)だったりします。
あれたぶん感情的な文章だと僕は思うんですけど、その「感情的な文章」の条件ってなんだ? って考えると良く分からなくなります。
もし彼(ヒトデさん)の文章が感情的なものとするなら、感情的な文章とは「勢い」という答えになりますけど、「勢い」がなくても感情的な文章(ブログで書かれた表現だと「淡々な文章」)ってありますよね。
なら「勢い」だけじゃ感情的な文章だとはいえないということで、淡白な文章と無感情な文章は違って、それに勢いが目安となって、となれば感情的な文章は速さ、でもニュース速報見てる限り違う、そもそも感情って流れるものじゃないの、いや、でも何も考えなくても感情的な文章ができて……あれ、「感情的な文章」ってなんですか(哲学)。

感情的な文章を作ってみる
わかんないからとりあえずやってみよう精神のもと、とりあえず感情的な文章を再現してみることにします。
例文を、
「ぼくはお菓子を買った」
とします。
まずこれは感情的な文章か否かどうでしょう? たぶん感情がない文章だと思うはずです。
もしここに感情を入れるなら、
「ぼくはお菓子を買った。その後食べた、おいしかった」
となります。
「おいしい」という文章が入って感情的になりました、といいたいところですが、これでも淡々とした印象を受ける文章ままだと思います。
そこで勢いを入れます。
「うおおおおおおおお! お菓子をげっつつうっ!!!!! 帰宅じゃあああああおりゃオラオラオラオア!!!!! あああああ開封!!!!!! ぱくっ……うっ、うまっあああああああああああああ」
もう完全に感情的な文章となりましたね。
この流れを頭の中で変換したりしたのですけど、たぶん勢いのある文章は大体感情的に分類されると思いました。勢いをつけることで、「そのときの感情」がうまいこと表現されるからでしょう。「勢いのある文章はだいたい感情的」ということが僕の考えになります。

これ書いてて思ったんですけど、Twitter腐女子の文体とか、アニメ見ているオタクとか、そういった文体が多い傾向があると思いました。たぶん溢れんばかりの感情が、こう、にじみ出ているんでしょう。吐き出すように感情を分かちあいたいみたいな。顔こそ無表情でもそんな感じのこと思っていたりとかでしょうか。いいと思います。それも一つの文章だと思うので。
某掲示板のコピペでたとえるなら「ルイズ!ルイズ!ルイズ!ルイズぅぅうううわあああああああ」ってやつが勢いある文章の代表格といえます。

勢いが感情的な文章になる条件なのか
なら「勢いがある文章はすべて感情的なのか」はそうかもしれませんけど、「勢いがない文章が無感情的なのか」といわれれば、そうでもないようにも思えます。だって、静かな怒りとか、静かな興奮とか(変態)、静かな焦りとか、淡々とした文章なのにそういった感情を受け取れる文章もあります。(記事では「淡白な文章」とあります)
ならそれら条件はなんでしょうか。
例文を同じく、
「ぼくはお菓子を買った」
とします。そのままではただ僕がお菓子を買っただけだと思えますので、ここにちょっとピンチ的なことを加えてみることにします。
「ぼくはお菓子を買った帰り、雨が降っていた」
ここにちょっと犯罪臭するようなことを加えます。
「ぼくはお菓子を買った帰り、雨が降っていた。傘ひとつ貸してもらって帰った」
もうすでにTwitterで炎上しそうなツイートができあがります。でもこのままでは「感情的な文章」といえないと思います。だってこれだとただ相手を不快にさせるだけ、ただの犯罪自慢で終わってしまいます。「悪いことした」という報告だけですよね。
「万引きしたんだ」→「は? だからなに?」みたいな感じになっていることでしょう。
ここに感情を入れるならどうするか。ちょっと加工してみます。
「ぼくはお菓子を買った帰り、雨が降っていた。傘ひとつ貸してもらって帰った。濡れなくて良かったー」
これで確実に炎上しますよね。不思議なことに一文加えただけで一気に不快になる文章が出来上がってしまいます。
もう「それ犯罪だぞ」とリプきて「後で返しますのでw」なんて書いて火に油を注ぐなんてイメージ、鮮明にみえます。べつに「実は彼女が持ってきた傘なんですw」なんてのろけのパターンもありそうですよね。まぁ、そこらへんいいです。
この「濡れなくて良かったー」という部分に感情に含まれるとして、この文章の本質的なものは「自分を見て」だと思うんですよ。あるいは、犯罪の罪の意識を「濡れなくて良かったー」に注目することで緩和しているのかどっちかだと思います(今回はカリパクしたということにしています)。
で、ここで気がついたんですけど、欲が入ると文章が感情っぽくなるんですよ。
自分を良く見せよう、自分をかっこよく見せよう、自分をすごいと思わせよう、つまり「自分自分」自分主義の考えの欲、そんなどうしようもない欲が「感情な文章」にするんだと思います。分類で言えば自己顕示欲でしょう。その欲が、「感情的な文章」にするかどうかの鍵だと思ったわけです。

淡白な文章
話し変わりますが、今ちょうど宇宙の分野について書かれた新書を読んでるんですよね。たぶんそれが彼(けいろーさん)の言う「淡白な文章」の分類に入ると思います。
読んでて分かるんです。明らかに「宇宙たのしいたのしい」オーラびしびし出てて、「あぁ、この人は宇宙好きなんだな」と思うような感じです。静かな情熱が感じられる文章っていいですよね。僕、そういうの好きです。
この新書の文章って「自分自分」ではなくて「宇宙宇宙」なんですよ。そんな人が「宇宙ってすげぇよな!?」という文章を落ち着いて書いたなら、こうした文章ができるんだと思いました。たぶんそれが静かな情熱みたいなもの、感情が入る文章(淡白な文章)なんでしょうね。
たぶんですが、某掲示板の有名なコピペ「~です。本当にありがとうございました」ってのがこれにあたると思います。あちらは情熱ではなく切実さが滲み出てる文章ですけど。

結論
感情的な文章について僕なりの意見がまとまってきました。ここで考えた感情が入る文章の条件ついては次の二つになります。
・勢いがある文章は大体感情的である
・自己顕示欲がみえる文章は感情的な文章の場合が多い
これが今回の結論になりますね。

……と、まぁ、この結論を見てくれたらわかるように、これだけだと「ん?」と思う方もいると思います。
なかには「勢いがあっても無感情な文章あると思いますが?」とか「自己顕示欲があっても無感情な文章もあると思いますよ?」とか「淡白な文章は感情的な文章じゃないんですか?」とか「すべてが全てそうじゃないと思いますけど?」とか、反論ある方もけっこういらっしゃると思います。
彼らには「ここまでが考えた一つの結論だから、そこから先はまだわからないから」と僕は言い返します。
つまり改良の余地十分ありということです。これは一種の「僕はこう考えました、あなたはどう思いますか?」とかそんな感じの記事だと思ってくれて構いませんから。あれですよ「お前がそう思うんならそうなんだろう、お前ん中ではな」ってやつです。
だからあとは各々で考えてください。(投げやり)

しかしけれどもおそらくですけど、彼(けいろーさん)のいうとおり最終的には「自分が何を思って、何を書きたいのか」「何を、誰に、どのように伝えたいのか」に行き着くと思います。
「感情的な文章」と「無感情な文章」を分けるキーワード(淡白な文章を除く)は「主体を対象先対象先に置くか、自分自分に置くか」の問いかけで別れると思うんです。
(厳密に言えばその「書きたいこと」に重きを置いて書くのか、「(欲にまみれた状態で)書きたいこと」を書くのかどちらかだと思います)
と、結局は彼(けいろーさん)となんら変わらない結論になりました。やっぱ同じ記事を書くと、すごい人のすごさがわかった気がしますよね。なんというかすごいですよね。(語彙力ない)

余談
ところで、最後に少し派生したこと書くんですけど、自己顕示欲が含まれていて(たとえば、かっこよく見せたい。ラクしたい、楽しみたい、見てほしいなど)それらが透けて見れたらそれは「感情的な文章」と結論で書きました。ただその「自己顕示欲が含まれる感情的な文章ってなんぞ?」と思った方が居るかもしれません。ちょうど今、身近に感じれる例を思いつきました。
そうです。女性に送る文章です。
女性と仲良くなりたいという欲をもって女性へ送る文章にて、簡素な文章、長文な文章、美しい文章、汚い文章、それら文体や文章力を置いておいて、女性が言う「下心がある」と嫌悪感を覚える条件の答えは、ひょっとしてあの上の条件に含まれているんじゃないですかね? と思ったんですよ。
いいメールを送ったかと思ったらそれは感情的な文章であって、それが相手に対して失礼であっt……ここまでにしておきましょうなんか胃が痛いです。

まぁ僕、女性じゃないのでわかりませんけど。