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とある書物の備忘録

読書家ほどではない青年が本の感想を書くブログ

木曜島の夜会

司馬遼太郎 時代小説

70冊目
司馬先生ワールドに飲み込まれてしまいそう。

木曜島の夜会 (文春文庫)

木曜島の夜会 (文春文庫)

この本には『木曜島の夜会』に加え『有隣は悪形にて』と『大楽源太郎の生死』『小室某覚書』の計4編が収録されています。

それぞれのあらすじをさっと書いてみます。

『木曜島の夜会』:甥は50歳になろうがおじ達の聞き役なのは代わらず、おじ達による「木曜島で行われた仕事(ダイヴァー)」の話をよく聞いていた。甥は幼きころ、ゴムを引いた潜水服を着、大きな釜をかぶった一人が川を何度も沈みつける記憶を持っており、それが恐れでもあり幼少期の情景でもあった。甥はこのことをおじに話し、笑われ、またダイヴァーの話をまた聞く。やがて「千松」という名称を甥は聞いた。甥にとって千松おじとは「(どこで死のうが)お墓参りに行きたい」といえるほど幼少期の記憶にのこる人物である。甥と長年友人である私は、これらの話を甥からよく聞いていた。そんな私が木曜島に行こうと思い至ったのは、ただの気まぐれにすぎない。
『有隣は悪形にて』:後に松陰で知られる吉田寅次郎という男が長州藩の牢獄に投じられた。この虎次郎、代わった男であり、究極的に性善説を信仰している。杉梅太郎(兄)がそれを心配して「有隣(富永弥兵衛)だけは気をつけろ」と忠告するも、虎次郎はすでに「その人は偉い人ではないのか」と思う始末であった。加えて虎次郎は人格者でもある。同じく牢獄にいる人たちに向って「長所」を訊ね、教えを請うのだ。その中には有隣も含まれていた。
『大楽源太郎の生死』:「虎次郎ほどの思想家になれるはずの男だった」といわれる大楽源太郎は、どうにも不思議な男だった。とはいうもの、幕末の資料の中にたくさん出てくるのにもかかわらず、出てくるのは単独ではなく徒党の一員としてあるからだった。そんな「有志」として奔走した大楽の半生に迫る。
『小室某覚書』:たぶん司馬遼太郎先生の備忘録みたいなものだと思う。小室信夫という男の調査結果。

今回あらすじ書くのが難しかったです。なので、そんなかんじ、と察してくれれば幸いです。

-----(ネタバレあり)-----

木曜島の夜会

出稼ぎする少年達
昔の日本についてはなんとなくしか知らなかったのですが、出稼ぎする彼らのように「どうにかしなくてはらない」状態はどこかで誰かあったのでしょうね。不景気でよく分からない激動の時代だからこそだといえますが、わずか10代後半ぐらいでダイヴァーにならなくてはならないという選択が、すごいなぁと、すごい時代だなぁ、と思いました。宮座鞍蔵老人のように青春の大部分をささげてきた人たちの話を興味深く聞いてみたいものです。
話は少しそれますが、彼らはまだ「生活のため」といえますけど、時代が時代なら「国のため」なんてこともありますよね。いやぁ、すごい時代だと思いました。

ダイヴァー船の上
ダイヴァーがいる船の上は結構な縦社会のようでした。互いにライバルとして、出来高を争い、スコアを争い、それは切磋琢磨していい結果を求めているようにも思えます。けれども白人に雇われているようで、なぜかこの船の上は日本の縮図のような感じもしました。
ところで彼らは(異常なほど)必死のようでした。その必死さが日本特有の「仕事」に対しての異常な執念をあらわにしているようで、ちょっと興味深く思いましたね。危険と隣り合わせでも仕事ならば慣れてしまう、日本人特有の性のようなものを垣間見えたような気がしたので。まぁ、僕がそう見えただけで何ともいえませんけど。
個人的には人種の違いがあれど、船の上では互いに尊敬をしている様子が良いと思いました。船の上で太平洋戦争が勃発したことがわかったくだりの、「海の上にいよう」という判断がどうであれ、船の上での緊迫感と一体感が感じられるシーンですよね。
真珠の世界史 - 富と野望の五千年 (中公新書)

木曜島その後
私が木曜島にやってきたとき、牟婁口氏、藤井氏と狩野氏と、日本人が何人か登場します。だいたいはそこで事業を始めようとしていたり、そこらへんの島からやってきている人のようですが、藤井氏は木曜島住んでいるという変わった人でありました。
藤井さんがなんで木曜島にいるのかやら、木曜島のエピソードなどは割愛するとして、書きたいのはその藤井さんの家でのパーティですよ。藤井さんが「日本人」だから、私が「日本人」だから、それだけの理由で訪れた私を優しく温かく歓迎しているのが、無口ながらひしひしと伝わってきて「なんかいいな」と思いました。加えて夫人の「楽しんでいる?」という質問もおせっかいながら楽しげでいいですよね。人間味があるというか。
私が気を使って「疲れているかもしれない。これで」と席を経とうとしたとき、藤井さんが私をソファーに連れて行くシーンがありましたよね? それが、この本で一番の萌えポイントでしょうね。

有隣は悪形にて

吉田虎次郎という男について
なんかすごい塾(松下塾)を開いていた先生だったらしいです。物語ではとあるきっかけで出会うことになった、有隣という特殊な人材(虎次郎は彼を尊敬している)を塾に派遣して、互いに高めあいながら(虎次郎的主観)いろいろ生徒に教えをしていたらしいです。
彼の偉大っぷり、器の大きさ、できた人格っぷりに惚れ惚れしてしまう一方で、物語のタイトル通り主人公はあくまで有隣といえました。虎次郎は途中で退場(死んでしまう)してしまううえ、尊敬している人(有隣)から裏切られたと知ってから死んだようです。そこらへんはちょっと同情(というかかわいそうだな)みたいな思いを持ってしまいます。
この虎次郎については「本当に優秀だった」(とはいえ反逆者でしたけど)という一言になりますね。ただすこし純粋にまっすぐすぎた、ともいえます。ほんの少しずる賢ければもう少し活躍できたかも……かといって、彼がしたこと(無料で学校を開くなど)そういうのはまっすぐでなくてはできないことだとも思っています。
孟子〈上〉 (岩波文庫)
孟子〈下〉 (岩波文庫)
吉田松陰一日一言

有隣
虚言みたいなことばっか口にしていた人です。加えて極度の心配性と虚栄心というべきプライドが高いのだろう言動を持ち、それらで身を滅ぼしていたようです。どこにでもいるんですねこんな人。
個人的には虎次郎は実在したのは察しまして、この有隣という男性は存在しないのではないかと思ったのですよ。けれども調べてみたら、この有隣(富永弥兵衛)が存在したのだから驚きました。まぁ、司馬先生の作品にとっては当たり前のことかもしれませんが。(僕は驚きました)。
彼の半生(あくまで司馬先生の作品内での話)については、因果応報という言葉がしっくりくるぐらいに忠告を聞かない歪んだ性格が、彼の自らを不幸に不幸に歩んでゆく様子が見れました。彼自身そのことについて常に被害者だと思っているでしょうし、僕から見ればかなりの幸運を持っているといえます。どちらにせよ、そのことを有隣は気がつくことは無いと思います。

松下塾
なんかすごい塾でしたね。歴史に関して詳しくない僕は有名な高杉晋作ぐらいしか知らなかったんですが、ちょっと調べてみればもう、有名な幕末の人は大体あの塾出てるんじゃないかと言えるぐらいにすごい塾でした。
いやぁこの塾を調べてみて、いざ「有隣という男は塾の講師だったのだ」と言われて有隣みたら「す、すげぇ!」と僕でも思ってしまいます。読んでるときは「こんなやつによそよそ過ぎないか? どんなやつか疑わないのか?」とか思いましたけど、この肩書きは強すぎます。しかもネットが無い時代ですからもう、すごい人だと信じちゃうでしょうね。
その松下塾で何を習ったかなどは置いておくとして、つまりここで反逆軍(そんな感じの思想)ができたということですよね。この塾があるおかげで(結果的に)倒幕できたおかげともいえるのでしょうか。いやぁ、松下塾、奇跡の世代っぽい雰囲気ありますよね。
まぁなににせよ。僕ですら「おーすげー」と思える場所だったのだから、歴史好きな人ならここはもう、オールスターといっていいぐらいに熱いことになってそうですね、ということです。そして司馬先生が面白い視点で書いているのだから面白くないわけないですよね、ということです。
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吉田松陰 松下村塾 人の育て方
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大楽源太郎の生死

大楽源太郎
高杉を尊敬し、あるいは嫉妬し、憎悪し、同じ志があるも志強すぎて死んだ男ですね。
のわりと反逆者ってこういう思想を持つ人が多いイメージで(個人的主観)、彼のような(作中の大楽)はその典型といえる人だと思いました。
加えて小物ぷりがいい感じににじみ出てましたよ。極めつけの自害しようと思い至る堤に賛同して「ともに死のう」と誘うのに、堤に気を使わせてしまうなんて。挙句自分だけ逃げてしまうという、かっとなって言うのもそうですし、(死ぬのはいけませんけど)あの場で逃げるのも情けないですよね。改心するかと思えば、それからの行動も小物っぷりがよく現れていました。
その後、大楽がうらんでいた高杉による「くにに帰りな」という発言(高杉器大きい)に従い、さらには塾を作り、子供を作り、調子に乗っていろいろしでかしてしまうんですよ。で、また逃げる。本当に頭が痛くなるような男ですよね。(作中の場合)

小室某覚書

ここに書いてあることについて
ここは司馬先生による取材記事みたいなものだと僕は思うんです。小室信夫の人生がざっと書かれているようですけど、歴史に疎い僕は「ほーん」という程度でした。
ただ思うのは、歴史に乗る人たちは図らずも幸運な人なんだなということです。運をつかむものといわんばかり、あるいは転がっていたのかもしれない幸運を自然につかんでいるみたいな。漫画みたいな人生を歩むんだなとカ、そんなことを思いましたね。それぐらいでしょうかね。あ、あと、調べてみたら彼も普通に実在することに驚きました。

【まとめ】
実は司馬先生の作品を読むのは初でして、この司馬先生ワールドに触れたのは初になります。
この司馬先生ワールドは独特なもので、読んでみて、「これに魅了される人いるだろうな」とか「この人が歴史小説を変えたんだろうな」とかそんなエネルギー文体から感じ取ることができました。
個人的に思ったのは余談がわりとおおい(僕が感じただけなのか?)ということでしょうか。読んでて「あれ、これ関係なくね?」とか思ったりした文章あった気がするんですけど、いや必要なのかもしれませんけど? (よくわからない)
そういう場面に一人称の「私」が登場するんですよ。本の雰囲気からみて三人称だから、これは人物なのか? 司馬先生本人なのか? と、戸惑うことも多々あったり。僕は司馬先生だと思いましたけど……実際はどうなんでしょうか?(わからない)
まぁなにより「おもしろかった」といえます。いや「おもしろかった」というより、「興味深かった」といえる本です。歴史の取っ掛かりにするには司馬先生の本は(これしか読んでないですけど)とても良いんじゃないかなと思いました。
やっぱすごい人の本はすごいんだなと思いました(小並感)。

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