とある書物の備忘録

読書家ほどではない青年が本の感想を書くブログ

アミターバ―無量光明

137冊目
死へ向かう朗らかな女性と

主人公の私は肝臓の難しい箇所にガンを患います。

もう治ることのないような、そんな難しい箇所にできたガンをなんとなく彼女は知りながら「治してみせる」と気丈に言ってみせたり、訪れた人に冗談を言ったり、とくに人生に絶望したわけでもなく、楽しげに病院の生活を続けていました。
ほぼ毎日のようにやってくる娘の小夜子、たまについてくる娘の旦那である和尚の慈雲、まれにやってくる腹違いの息子の富雄、お世話になっている医師の人たち、など彼女のもとに訪れて会話をします。彼女の性分か、周りの人よりも彼女のほうが明るいということもあるのでした。

ただ彼女はどんどんと衰退していきます。
そんな中で彼女は不思議な経験をするのです。よくわからない幻覚を見たり、過去を思い出すことが多くなったり、夢に実感が湧くようになったりなど、彼女はそれらを新鮮に驚きながら慈雲に問いかけます。慈雲も普段持っている問いかけとともに、たわいない雑談がごとく「死」について話し合うのです。



----(ネタバレあり)----




私の性分と周り
末期がんを患い、もう意識と痛みぐらいしか残ってない頃にもかかわらず、明るいこと考えているすごいひとです。
僕は末期がんや難病を患ったことがないのでわかんないんですけど、こうった難しい状況に陥ってもなお上機嫌保てる人ってすごくないですかね。人間の強さと言うものを感じるような、そういったもの彼女から感じさせます。
そんな彼女の周りには温かい人達がたくさんいて、そういったものは幸運だと思うんですけど、その幸運ですら彼女が引き寄せているような気もしました。
この彼女の朗らかさ、読者にも恩恵あると思うんですよね。この末期がんでよくならない悲しい話というものの読後感を暖かくしているのは、やはり彼女の明るさが大きいと思うんですよ。

末期時の異変
人が死に近づいた時に不思議な事が起こるというのは聞いたことがあります。ドッペルゲンガーを見たとか、誰も居ないのになんかいる気がするとか、気がついたら幽体離脱をしていたとか……この作品だとだいたい私の身に起こっていることなのですが、実際に現実に末期になっているときなどああいったときにはああいうことが起こるのか気になりました。
個人的にこういう異変などは信じていて、たぶん僕らの知らない高次元でなにか起こっているんだろうな、とかときどき思っています。この本ではその「僕らの知らない高次元」が多少書かれていて個人的な好みにヒットしてました。

意識の混濁
いろいろ不思議な事が起こっている中で特に興味深かったのは「時間の感覚を失っている」というとこでした。
作中では末期に近づくごとに過去のを思い出す頻度が多くなり、夢に現実味がでてきて、現実が夢みたいになったりしています。要は現実がどんどん曖昧になっているそうで、マッサージというイベントがあってやっと「1日の感覚」が分かる程度になっていました。
物語終わりあたりで私が「体が動くから過去の話だ」と自覚しているんですけど、ああいった場面を連続で見せられると「現実に戻らないほうがいいのでは」と思う自分がいて、どうも意識を現実に戻してやる行為に疑問を持つというあたらしい感覚が読んでてありました。

慈雲との会話
彼は聡明な方なようで、仏教のこと、地獄のこと、量子力学から相対性理論までいろいろ知っていまいた。
慈雲さんの話、とても興味深ったですよね。どれもこれも「人間の死」について、宗教的にも物理学的にも考えているようで、知的な感じが清々しかったです。
彼はいい意味で悩んでいるようで、この世界を知りたいと健全に思っていました。けれども彼の(お坊さんという)職業柄、それは自分の信仰に疑問を持つような、どちらかと言えば不健全な感じになっているんですよね。でも慈雲はそれを自覚していて、かつ楽しげに話しているのだから清々しい人だなと思いました。

キリスト復活の秘密
タイトルのアミターバといったように、この物語の大本は仏教の考え方なんですけど、富雄という登場人物の信仰はキリスト教なんですよ。その人が「えっさん*1はなんで復活したんだろうか」と純粋に疑問に持っているんです。
これの答えを知るのは物語後半あたりになるのですが、その前にいろいろな過程を経て彼は「えっさんはですね、そうやって現れたんじゃないかって」と富雄が納得するんですよね。その流れがよかったと思います。
富雄にとっては死んだら死体が残って、その死体がある以上、復活はありえないと思ってたそうですが、いろいろあって「もしかして死体関係なく現れたのでは」と気がついたわけです。つまりキリスト復活は「復活」したのではなく「現れた」だけという話なんです。
現に僕はキリスト教について詳しく知りませんが、これまでのこの本の物語展開といい、「はぁなるほどな」と思いました。おもしろい考えだと思います。

経験する死とその後
いよいよ死が近づいてきて、夢の回想がより深くなっていました。まるで今までのことを洗いざらい懺悔しているようで、物語中に私が思っていたことはだいたい回収したのではないかと思います。とはいうもの、現実と夢がごちゃごちゃになるように描写されていて、僕もよくわからないんですよね(それがいいんですけど)。
最後の最後の回想では皆で宴会をしていました。本人はやや気が付きながらも楽しげに食事をしていて、それがいいなと思いました。もうあんなことされたら悔いないでしょう。
あと、この本、死んだら終わりってわけでもなく、死んだあとの世界も多少書かれてあります。いわゆる虫の知らせをしてみたり葬式中にツッコミしたり涙流したり、こういったらなんですが、人間味溢れてておもしろかったです。


【まとめ】
明るいのに儚げで、悲しいのに楽しいみたいな作品でした。とても穏やかな作品でもあって、知的な考察があるような作品でもあります。
人が弱り亡くなる瞬間を追体験しているような感覚を覚え、読んでて不思議な感じを覚えました。それを支えてたのは私の朗らかさほかならず、その私ですが、最後の光りに包まれるシーンで鼻歌を歌ってるんですよね。かなわないなぁと思いました。

*1:その人はイエス・キリストをえっさんと呼んでる