とある書物の備忘録

読書家ほどではない青年が本の感想を書くブログ

【映】アムリタ

19冊目
これはテルミーを知ったきっかけになった掲示板まとめにて、同じく知った作品です。
まずタイトル、次にライトノベルらしからぬ設定に興味がそそられました。

芸大生の二見遭一は、アイドル的存在の画素さんに映画撮影の役者としてスカウトされるところから話が始まります。
画素は美しい美貌も持ちながら、撮影に長けている人であり、二見は好意を持ちながらも一目置いている人でした。
そんな画素に呼び出しなのだから、うきうきで映画撮影に参加することになります。二見はあわよくば仲良くなりたいと思う反面、役者を目指しているので選ばれたことに喜びを感じてました。
画素と部室での面会にて映画撮影について概要を伝えられます。画素は「絶対いい作品になる」と手渡された監督の絵コンテに、二見は「監督がいるのか」と聞くと、画素は「当然」と答えます。
二見は「やはり監督は別にいるのか」と少しがっかりします。なにせ、監督が画素の撮影技術を殺すかもしれないと思ってのことでした。
そんな二見をよそに画素は監督のことを「天才」と呼びます。実際、二見も天才監督の最原最早については知っていました。
最原最早とは、芸術大学入学の作品を提出し、賛否両論ありながら一発合格をしたという人物です。その腕たるや、「天才」以外に表現できないと言われるほどでした。
天才の絵コンテを二見は受け取り、家に帰って読み始め、そのまま五〇時間以上不眠不休、食事無しで夢中になって読むことになります。
絵コンテに言葉では言い表せないその魔力、才能に、二見は怖くなり家を飛び出し、やがて画素と話した部室に到着します。
そこで女性と出会います。二見は彼女の顔を知らないにもかかわらず、最原最早と気が付きます。
絵コンテを描いた本人である監督の最原最早は初対面で「私を愛してますか」など言い、二見を混乱させながらも「きっとあの映画は素晴らしいものになります」と一方的に言うのです。


-----(ネタバレあり)-------

※この作品を一読してからネタバレ感想を読むことを強くおすすめします。



二見遭一
主人公です。作品冒頭で「映画みたいな恋愛をしてやる」と宣言したように、思う相手とは違いますがドラマチックな展開になりました。
終始、最原最早に翻弄される姿になりながらも、自分を知り思うように動いている姿が懸命でよかったです。
ツッコミの切れ味がいいという才能があるがゆえ、苦労ありそうな性格だということが伺えます。エネルギー消費量というか、燃費が悪い性格ですね。同情します。
この二見、推理力もあったそうです。最原から出された謎を自力で解いて、最原の本意を問いただします。おおよそ正解もしてへぇと思う一方で「部屋に勝手に入っていいのかよ」とか思いました。まぁこれも天才最原の手のひらの上といったところでしょうか。
この二見君に対して超どうでもいい、気になったところがあります。それは最原が最後、記憶を消す映画を見せることになりましたけど、そこで数日間の記憶が消えるみたいなことを二見は思いましたよね。その数日間の間に童貞卒業しているんですが、その記憶も消えてしまうのでしょうかと。まぁ、消えるでしょう。(結論)

最原最早
天才です。これ以上にない表現を受け付けるほどの才能を持っているようです。
登場した才能については、映画関連はもちろんのこと、さらりとプロ並みの技術でヴァイオリンを弾いています。雲の上の存在と言っていいレベルですよね。そもそも「人を操る映画を作る」という文字にしただけで魔法だと思えることをしでかす時点で、天才か魔女、悪魔なんて言ってもいいでしょう。本人としては好奇心(個人的観測)で、ただある表情を見てみたいという理由で人を動かしていました。
そもそも天才とはそんなものなのかもしれません。

映画撮影のメンバー
画素さんと兼森くんはそれぞれそれなりに実力はあったのだと思います。それに熱意もありましたし、拘りもいい意味でありました。最原が天才が故に小手先の技術、撮るだけ処理するだけになっていましたが。
途中に兼森が二見を心配し、最原について考察をしてるシーンがありましたよね。あそこでやんわりと最原についての本質に気がついているように思います。天才の恐ろしい顔を想像する、あれは兼森の「予感」として片付けられてますけど、兼森は勘が良い人のだと思いました。あとは行動力があれば真実にたどり着いたかもしれません。
画素さんについてはアニメ映えしそうな感じでしたね。愛らしいというか、魅力的なキャラクターになっています。映像職人らしいこだわりも見せるのが個人的に良かったですね。おそらく代理役者二見の話題も出たであろう、最原と行われたガールズトークとは何を話したのでしょうか。
ところで、画素という苗字、僕はしばらく映画製作の照明さんみたいな通称だと思ってました。画素さんすみません。

研究題材となってる映画
終盤辺りで篠目ねむという女性が登場し、最原の作品が研究題材になっていると言っていました。
篠目ねむの正体は置いておいて、そこで見た映像についてです。
いろいろ研究したそうですが、その結論は「よくわからないけど、麻薬みたなもの」でした。
人体に影響を与えるシーンについてはたった四シーンのみであり、効果までわかったようですけど、なぜ人を感動させるのかわからないというところがまた意味わかりませんね。
まず感動させれるシーンを作るって作れることが、技術とか云々を超えた領域を感じさせます。
感動を与える洗脳といえば音も重要だと思っていたのですけど、映像を見なかったら効果がないというのも意外でした。二見もあんな反応になったのだから、感受性高い人なんかぶっ倒れてしまいそうです。
しかし、見ていた映像を見逃すというのもどういうことでしょうか。「見たシーンの記憶を消すシーンを挿入した」ってもうこれわかんねぇな。

【考察】
いままで感想だけ書いてきたんですけど、この作品は考察も必要だと思ったので僕なりの考察も書いていきます。

映画と作中前の二見遭一
この物語の終盤の映画館ににて、最原は「一体いつから映画を見てないと錯覚していた?」など言って、二見も僕も読者も「なん…だと…」ってなったと思います。
作中には書かれてませんけど、おそらく作中前の二見に最原はすでに映画を見せられているんでしょうね。(「二見遭一」という名前もここからきてたり。)
そして記憶は続いているが映画は忘れられ、定本入りの二見として『月の海』に参加したということになっているのだと思います。
思えば何回か「私のこと愛してますか?」など最原は変化の確認をしてますし、「素晴らしいものになります」というのは「二見と」という意味が含まれているのでしょう。
ところで二見は「映画のような恋をしてやる」と言いましたが、あの発言は定本の影響になるのでしょうか。むしろ無意識に考えていたという……そこら辺はわかりませんね。本来の二見は画素さん好みのロマンティックな人だったのかもしれません。

最原最早の本意
計画の動機は「定本とやりたかったロマンスを再現したかった」みたいなことだと僕は思います。そこにはほかの他意はなく、やってみたいというだけで形にしたのが『アムリタ』ということになり、似ているならという理由だけで二見が選ばれたということだと考えています。
悪く言えば自己中心的な考えといえますけど、悲劇的なヒロインが実現したかった儚げな願望だと思えば切ないラブストーリーを感じさせます。

【ここからは僕の想像するサブストーリーです】
最原は恋愛感情無いままに大学に入学しました、そこで定本に出会います。定本は普通の人で、ただ最原が綺麗で気になっただけかも思いますが、最原にとっては「これは恋愛でないか?」と無駄に希望的に恋愛を見て「恋愛面白そうだ」と恋とはまた別の感情、それこそ好奇心で恋愛していたのだと思います。その間いろいろと新鮮なことやロマンスを考えていたのでしょうが、その途中で定本が死亡します。最原はひどく悲しみながらも、恋愛に対し消化不良気味だったと想像しました。
そこで、長い計画を練ることにします。
結果、代理俳優の二見は最原の思い通りに動き、むしろ想像以上のロマンスを二人は行います。ボケばかりしていたのがそれにあたると思いますね。なんだかんだ楽しく幸せだったのだと思います。
かくして理想のロマンス一通り楽しんで、最原は消化不良を解消しました。そして最終目的だった「命をかけた最愛の人に、実は殺されていたと知った時の表情」も見ることも達成し、せめてものプレゼントをして最原が二見のために作った映画を見せて物語は終わります。

【まとめ】
すごい作品でした。その一言です。
ライトノベルとだけあっていろんなラノベっぽい展開はあるのですけど、ジャンルで言えばミステリーでした。
ミステリーと考えても、探偵役が「全て見破ったぞ」と言ったのに、それは犯人の手の上に踊らされていただけという恐ろしい展開になっています。人は死なないけど、ある意味二見は二度死んでますね。天才の相手していたとはいえ大変です。
二見の境遇をイメージするなら、親愛度リセットで再スタートからみたいな感覚でしょうか。それでも記憶に無いなんて、どうなることやらですよ。またロマンスをするのでしょうか。
ところで、この作品自体が映画みたいな作りでしたね。
絵コンテ→撮影→編集→試写→エピローグみたいな。内容もいろいろあったけど、いちおう最後はキスシーンでいったん終幕しています。これはアメリカの映画を彷彿させました。
そしてエピローグにて衝撃の事実を知る主人公、日本人が好きなどんでん返しミステリーへと転換してます。何ですか作者の腕、すごいですよ。初手王手してる場合じゃないです。(元ネタは「初手王手」とググるなどして出ててきます)