とある書物の備忘録

読書家ほどではない青年が本の感想を書くブログ

駈込み訴え

152冊目
ある男が駈け込んで来たようです

駈込み訴え

駈込み訴え

ある男の訴え、もとい独白が続く作品になります。
読んだらわかるのですが、語り部がずっと訴えた理由や経緯などしゃべっていて、その喋りの内容によってさまざまな人物様子などが明らかになってくるようになっています。

殺したい相手は聖人に近いほどできた男であり、語り部も彼を愛していました。なのに「殺してくれ」と頼むまでに至った理由とはいったいなんだったのか。語り部自身、その男をどう思っているのか。ここにあるのは一人の男の人生かもしれません。


ーーー(ネタバレあり)ーーー




駈け込んで来た男
最後にその男が誰なのかわかるのですが、読んでいくうちにおおよそ誰か見当がついた方も多いと思います。
そんな彼は主である人物を愛していて、主に心身共に尽くそうとする確固たる想いを持っているようでした。ただその想いの強さが転じてしまい、今回このような訴えを起こしています。
個人的に思うのは彼は主をどう思っていたのか、というところであり、彼は自らを「愛していた」と表現していますが、「本当にあの関係は愛と呼べるのか?」という疑問です。
主と僕(しもべ)、理想という存在として、はたまた男性同士として……いろんな関係を思い浮かべてみても、二人の関係を言語化するには難しく、言語化したらしたらで関係性が安っぽくなるほどに、複雑なものが間にあるような気がしてなりません。
まぁそれでも駈け込んだ彼には多かれ少なかれヤンデレっぽい精神が宿ってる気がします。こう、理想を他人に押し付けるような、勝手に期待して勝手に失望するような。

売られてしまった男
人格があり、人望もあり、人としても素晴らしい人物だったようです。例の駆け込んでた彼だって、その他弟子たちだって、その男をまるで疑うようなことはしてなく、皆から絶大なる信頼を持ってるいようでした。
この男は純粋なようで、たまに善的で無垢な無茶苦茶なことをいっていたようです。そのしわ寄せは弟子たちに集められて、その弟子は(語り部だけしかわかりませっけど)かなり大変だっただろうなということがうかがえます。まぁそれでも、周りが尽力してくれるほどこの男は人望を得ていたようです。すごい。
そういえば、一度ある女性が気になった風な描写がありましたよね。あそこ唯一(終わりあたりにもありましたが)人間っぽくて「彼も人間なんだ」と思わせ印象深かったです。

不思議がられるほど気高い百姓女
話にちょこっとでてきた百姓女ですが、少し出ただけなのにかなり魅力的だったと記憶にあります。
この百姓女が出てきたところ、この百姓女自身の不自然なほど気高い美しさもそうですが、物語としておもしろいところは、孤高の主を魅了させただけではなく、語り部もその百姓女に気が合ったという部分であり、語り部はそれをすべて踏まえたうえで「わけが…わけがわからないよ!!!」ってな感じで動揺しているところですよね。
語り部が「主は私から彼女を奪ったのだ!」からの「いや彼女が主を奪った……?(混乱)」と話して気がつくところなんか、もうシリアスな笑いってやつでしょうか、読んでておもしろかったです(本人はまったくおもしろくないでしょうが)。

終幕に近づいて
語り部の疑念をよそに主がエルサレムに到着し、いよいよ主が大きな偉業を成し遂げた感じがありありました。
恥ずかしながら僕は聖書に関してあまり明るくなく「ここもなんかのシーンなんだろうな」という風なのは読んでて感じましたが、例の老馬に乗っているところも、なんかのオマージュなんだろうな的なことも感じたぐらいでなんなのかわからないままなんです。
ところでここで主は語り部から見ていよいよ壊れてきた(とはいっても主なりの考えがあったんでしょうけど)と言っています。あの清く気高き人物はよそに、今はただの人間になったとさえ言って、主の言動には周りの弟子たちも困惑している様子もうかがえました。
ここ、この感想書いてて思ったんですが、確か仏教の釈迦も最後あたり「人間であること」を示した、という話題をどこかで読んだか聞いた記憶があります。「私も人間なんだよ」みたいな提示というものは、なにかなんかの大切な過程なのかもしれません(よくわからない)。
まぁこんなことを書いておいて、それが今回の主の奇行(と捉えられたやつ)と意味が同じかどうかはわかりませんが(そもそも元ネタがあるのかもしれません)。

終幕
最後の食事会にて主は「この中に裏切り者がいる」と言ったのち、「裏切り者は彼だ」と名指しで指名しています。ここ有名な『最後の晩餐』のシーンと思ってるんですが、そのシーンでは「この中に裏切り者がいる」とキリストが言った時「誰が裏切り者なのか」ははっきり名指しで言ってなかったような、そんな記憶があります(あってるかどうかわからない)。
ただこのパンを食べさせるシーンはどうにも、そんな疑念を吹き飛ばすレベルに前の足洗う展開から相まりもう「BLかな?」みたいな感情がここらへん読んでて強く印象残っています。
そんな盛り上がりもありますが、おもしろいのは最後の晩餐終えた後、語り部がすぐ駈込み訴えをしているわけで、文字通り「最後の晩餐」になっているところです。加えて書くなら、いままでユダ(語り部が)が思っていたこと、そんな人間的な迷いが、あの主のパンを与える行動で「決心させてしまった」というところですよね。そしてそれが今までの物語展開から「自然に」行われているような感じになっているのがすごい。

【まとめ】
遠くは離れた場所のお話みたいなものも、こうして書かれてみると裏切りまでの決断が人間味あふれる物語になっています。ちょくちょく物語的な伏線っぽいものや、ちょっとした混乱からのユーモア、それと溢れているドラマ、などそういったものが詰め込まれていて、かつ本題に合わせている、もうすごいと読んでて思いました。