とある書物の備忘録

読書家ほどではない青年が本の感想を書くブログ

堕落論

138冊目
開放されて堕落して

堕落論

堕落論

坂口安吾さんによる『堕落論』という作品になります。

読んでて思ったのですが、これは一種のエッセイでありブログみたいな内容だという印象を受けました。その内容についてあらすじ的なものを書こうと思えば書けるものの、なんというか「これは実際に読んだほうがいい」と思ったのであらすじは端折ろうかなと思います。

この本、あまり文量も多くないですし、すぐ読み切れると思うので興味がある方はさくっと読んでみてはいかがでしょう。(青空文庫Kindleなどで無料で読めます)

----(ネタバレあり)----



作者が生きていた時代について
この本を読んで印象深かった出来事はやはり「戦争」になります。この本が比べているものも「戦時中」と「戦後」ですし、その特別な環境で生きてきた作者だからこそ見えてきた「堕落」というキーワードが話題の中心になります。
その作者が生きていた世界である「戦時中」あるいは「戦後」というのは、僕からすれば「異世界」みたいなもので、想像する範囲でしかわからないんですよ。
ただ読んでて『この世界の片隅に』という映画を見たとき感じた「戦時中の日常」をこの『堕落論』を読んだときにも見えた気がした。って話です。

世間が変わったのではなく人は本来そういうもの
戦時中の美しさと対照的に戦後は「夢から覚めた後」のように、「現実的な」日々が始まったそうです。現実的なというより、「むしろこれが正常な」日々が始まったと言うふうな表現でした。
戦時中は美しい(意訳)と作者が言っていて、それでいて現実に戻った後のことは汚いのかよっていうわけでもなく、単に「堕落」と言ってました。
この堕落について、要は幻想から現実に戻って「夢見がちな状態から現実に戻って」、その過程で生まれる前向きだが過去を否定するようなことを指していると僕は捉えました。作中の例だと「戦時中は帰らぬ夫を待つ妻」がほどなく日常を過ごすと「新たな恋にときめく」とかです。
それを作者は「薄情だ。時代が変わったんだな」とは言わず、「人間とは本来そういったものなのだ」と述べてました。
僕としても、いろいろ考えた上で「そういったものなんだろうな」となんとなく思いました。

戦時中の美しさ
戦時中が「美しい」というのはあまり想像がつきませんが、こう書かれてみるとあながち嘘ではないのではと思ってしまいます。
偉大な破壊の驚くべき愛情、偉大な運命の驚くべき愛情など、おそらく戦時中は毎日が恐ろしいほど濃密だったんだと思います。昨日遊んでいた友達が次の日にいなくなったり、一緒に食事をした家が次の日には焼け落ちたり、ちょっとした恋をしただけでも、そこにはドラマティックでロマンチックなことが起こっていることでしょう。
みんな「生きる」ことに必死で、それが共通の目的であって、たまに訪れる空襲の様は恐ろしいほど美しく、瓦礫化した豪邸の前に立つ上品な父と娘、空襲警報で誰もいない銀座に悠然としてるカメラマン、あるいは焼野原で無邪気に笑っている若い女達、そんな毎日を見てきた作者は「あれは幻影だったのかもしれない」と思い返し、それでも「美しかった」としみじみ思い返していました。
ある意味で戦時中は絶望的ながら、幸福な時代だったのかもしれません。(かといって戦争を肯定する訳にはいきませんが)。

堕落するということ
この本読むまでは堕落という言葉に「ニート」とか「共依存」とかの単語が連想されてましたが、読んでみると思ったのと違ってましたね。この作品で言う「堕落」とは夢から覚めろという、いわば「(戦争など)幻想から開放されろ」というメッセージのように思え、そして「開放されたら堕落していくのは人間のデフォルトだからな」という温かい投げかけのように思えます。
戦争や天皇の考え方やそういった「幻想」を投げ捨てた瞬間、新しい世界が見える「自由」を手にするわけですけど、みんながみんな自由を快く受け取るわけではないんですよね。「戦争に負けた! 死ぬ!」って意志の強い人もいたと思うんですよ。そういう人への『堕落論』なんでしょう。
「自分を信じて、自分の道を歩いてゆけ」という話のように思えます。

【まとめ】
この作品は「人間、堕落がデフォルト」という主張が記されたものになります。しかし読んでいくうちに「いやこれ堕落ってより変化(成長)している話なのでは?」と思いつつも、当時のことを想像してみると「堕落してええんやで」という作者なりの優しさなのかなとも思いました。

坂口安吾『堕落論』 2016年7月 (100分 de 名著)

坂口安吾『堕落論』 2016年7月 (100分 de 名著)

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