とある書物の備忘録

読書家ほどではない青年が本の感想を書くブログ

酔歩する男

番外編
幽閉された男の話

※この『玩具修理者』に収録されています。

物忘れが酷いのか、彼のうっかりなのか、一度行った店に再び行ったら店がなかったり、あるいは別の店になっていたりする男がいます。彼の名前は血沼壮士といい、これはそんな彼が知る「いつの間にかなくなっていた店」の一つにて起こったことです。

その店にて、血沼は同期とともに飲み会をしていました。わいわいと一通り騒ぎ、お開きになりそうな頃、運悪く大雨が降っていました。彼らはタクシーで帰ることにして、みんなそれぞれの帰り道の方角に合わせてタクシーを呼んできます。ただここで、池沼はみんなとは別の方角に家があることに気が付き、みんなを先に帰らせあとで一人店内でタクシーを待つことにしました。

待っている間のこと、飲み会のときも見えていた視界の端にいる男性、おおよそ勤め人ではなさそうな男性が一人になった途端こちらをちらちらと見ていることに気がついていました。色が変わって元の色がわからないぐらいのスーツ、垢だらけの顔にできるだけ関わりたくないと池沼は思っていた矢先のこと、彼は池沼によってきます。
「私を覚えていますか?」
池沼は怪訝に思いながら「知らない」と答えます。彼は「そうですか」と言ってあっさりと席に戻ろうとします。
池沼は声をかけられた不思議さ、そして時間つぶし程度に彼に絡んでみることにします。「ちょっと待ってください。あなたはなんですか」
男性は答えます。「私はあなたの親友です。いや親友でした」

これに池沼はいよいよ不審がって彼の話を聞いてみることにします。

----ネタバレあり-----

奇妙な出会い
出会いは居酒屋でした。そして向こうから話しかけてきました。展開から見れば、血沼が墓穴を掘ったという内容ですが、ああいった場面でどうしても話を聞いてしまうという気持ちわかる気がします。
しかしあの出会いがなければ色々なことが問題なくなかったことを思うと、出会わないほうが良かった、あるいは話の途中で中断をすればよかった、など後々に思ってしまったりしますよね。でも仕方ない。そうなってしまったのだから、あの出会いは呪いに近いことだろうと読破して思いました。

最愛の人を失い
小竹田が話していた過去の話、手児奈という変わった女性が作品のキーマンになっています。小竹田と(小竹田の主観の中での)血沼の二人は良く言えば彼女に翻弄され、悪く言えば彼女に狂われていました。
手児奈は登場から不思議ちゃんのオーラを纏っていて、しかし読んでみれば「共感覚の持ち主なのかなー」とか思う程度だったものの、そんなこともわからないまま自殺しています。かくしてこの自殺が引き金となって、二人の運命(波動関数が発散して)狂ってしまいます。
あるものはDNAでクローンを作ろうとしたり、あるものは時間逆行の方法を探してみたり……結果として解決策を見つけるまで30年とかかったらしく、二つのうち時間逆行を選ぶわけですが、その時間逆行の方法は恐ろしく奇妙なものでした。

奇妙なタイムスリップ
いろいろなタイムスリップが登場するSF界隈ですが、「意識をいじって時間を逆行する」という方法で時間を戻るという(あるいはその結果がみえる)、というのは珍しいものではないでじょうか。
(小竹田の中の)血沼による考察(脳の時間認識をする箇所を破壊する)も秀逸で、いい線まで行ってたのではないかなと読んでて思いました(やりたくはないですが)。
ところで作品を読んでみてからこの案を考えてみると、他に(倫理的な)問題があるかもしれませんがそれらに目をつぶったとしてもなお、「その考えはあくまで主観的な話だった」ということがわかります。皮肉なことにこの「主観」が実験者の精神体を苦しめているんですよね……。
物語上明らかになるのは「小竹田の主観が見ているタイムスリップ」だけでした。まぁでも血沼も初めあたりの奇妙な冒頭、タイムスリップを実感してないだけでしているのかもしれません。ここで「主観」がでてきたように、彼の主観が小竹田と変わってしまった以上、どうなることやらですよ。

無自覚な時間移動
小竹田は初めあたり「寝る」ことが時間移動する条件だと捕らえたそうですが、実のところ「脳が機能低下したとき」だそうで、それは「気を失った時」「うたた寝をしている時」も含まれているそうでした。
そしてタイムスリップをしているうちに時間とは連続体ではないことがわかってきて、線ではなく点、そしてその点ですらも過去に戻ることで発散してしまうとかなんとかでした。
まぁここらへんまでは別にわからないことでもないですが、小竹田にとっての問題は「いつどこへ飛ぶのかわからないところ」でしたね。そして飛んだ先では「昨日の」意識を持っているわけではないですから、またなにもかもわからない状態になってしまうってのも大きな問題でした(もはや問題といえるレベルではないですけど)。
よって作品にあったように、学会の準備ができなかったり、学会に失敗したり、成功したり、準備が無駄になったり、など散々たることになっていました。
小竹田がそれなりに優秀だったというところも悲劇を大きくしたと思います。例えば無職だったり、農業とかしている人だったらまた話が変わると思いますし(だとしても悪い方に進んでしまうと思いますが)、また途中登場した便利アイテムの日記にしても時代が合えばパソコンっていう便利な道具があったりするのに……とかどうしようもないことを思いながら読んでました。

終わらない時間移動
この物語の恐ろしいところは、「①タイムスリップが無自覚に行われて ②それに意識が追いついていなく ③波動関数が発散してしまう」ところにあります。
仮にタイムスリップをするにおいて起こるSF的な問題を想像してみても、「元の世界に戻れない」「よくわからない星にきてしまった」「現地人に不審がらて捕らえられた」ぐらいなもので、それは読者に「終りがあるかもしれない」という危機感を読者に植え付けてきます。しかしこの物語を読んでみると、それは同時に「(現在の感覚が続いていて)いつか終わりがある」という希望のように思えてきます。
時間モノといえば、よくあるループものでも「この世界線ではだめだ」「また失敗した」など、いわば「キャラの感覚が続いている」ということが、その作品の良さであり絶望感を与えていると思います。ただそれでも、だからこそうまくいくように「試行錯誤」できるというわけで、それはタイムスリップの能力を持っている人物の希望であって、読者の読みどころでもあるわけなんですよね。
ただ、今回の物語のケースだと、たとえ「過去の自分に過ちを止めさせた」だろうが「(とうに行われてしまった)今の自分の脳は壊れているので」もうなにも変化がない……ということになり、壊れたビデオテープをダビングしてもダメなように……。もうだめみたいです……。

手児奈
小竹田の彼女であり、血沼の彼女であり、最後に血沼の妻だということがわかります。
今一度彼女の言葉を思い返してみると、小竹田が考えた「ぜんぶあいつは知っていたのではないか」ということも何となく頷けるような言い回しが多かったように思います。そんな会話を思い返しながら、最後あたりにて「大学の同級生と飲んでいた」と血沼が言うのに対して「知ってますよ?」とか答えているあたり「ひえっ」ってなりました。そして「あっ(察し)」みたいな感じにもなりました。それからまた「私が死んだらあなたは死んでくれる?」という小竹田への問いかけも何とも言えない気持ちにさせてきます。
あらためて、手児奈ってなんなんでしょうね。ヒトでありヒトならざるもの的な、なんか恐ろしいもののように感じてきましましたが、なんなんでしょうね。
終わってみれば、「原因→結論」という流れを否定したあのあたりで「実はわれわれが狂ったから彼女が存在するようになった」などちょこっと考えられたりしますが……もう彼女のことはなにもわかりません。

【まとめ】
再読した本なので番外編にしました。
改めて、この物語の恐ろしいさを増すように書かれてある文体よかったです。不気味でグロテスクで作品の雰囲気にあっていました。
読み終わってみれば、別に自分に関係ない男の話だというのに、今まで歩いてきた地面がふと消えるような、ふわっとした不安な感じを覚えます。しかし思い返してみても、日常になんの影響もなく、考えるだけ無駄なような話に思います。なのに価値観が歪むような読後感なのも興味深いです。
ところで余談ですけど、一度血沼は小竹田を家に誘ってますよね。その時「申し訳ないから」と小竹田は断ってますけど、あそこでもし小竹田が話に乗ったり血沼が強引に家まで連れてきたらどうなっていたのか気になります。
まさか親友の家に行ったら昔愛していが死んでしまった女性がいて、その女性が普通に親友の妻だったなんて、そりゃめちゃくちゃビックリする……とか想像しても、なんか手児奈を少し見てからすぐ家から飛び出してダンプカーに轢かれそうなのでやっぱいいです。